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- 2020.10.22 Thursday
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みなさん、こんにちは〜〜
今日はようやくすっきりとした秋晴れですね
いきなりですが、我が家から1番近いスーパーには、
毎週火曜日になると店頭にたい焼き屋さんが現れます。
あんこ派の私と、カスタード派のすべさん。
初めて買った時、あんこを1つ、カスタードを1つください、
と注文すると、なぜか袋の中にはカスタードが1つ、
あんこが2つ入っていました
何かの間違いだったのかと、
次も同じ数で注文してみると、やはり3つ・・・。
お店のおばさんに、いつも3つ入ってますけどと尋ねてみると、
上手に焼き損ねたのを入れてるのよ〜〜。
と、言われて気を良くしてちょくちょく購入していました。
そしてそのスーパーがこの春に撤退して、
たい焼き屋さんも全く見かけなくなりました。
夏になると違うスーパーが新たにオープンしました。
しばらく見かけなかったあのたい焼き屋さんが、
先週から再び出店していました。
いつものようにあんこを1つ、カスタードを1つ注文して、
家に帰ってみると、やはり袋の中にはたい焼きが3つ
小さな幸せを感じる秋であります
さてさてめちゃくちゃ長い前置きになりましたがw
うちのすべさんの会社には決まった夏休みが無く、
会社での予定が無ければ自由に取ることができるので、
10月の連休明けからハワイのオアフ島へ行ってきました
着いて早々に現れた虹 幸先の良いスタートです
ワイキキビーチ
ダイヤモンドヘッド山頂からのワイキキ。
などなど、次回からちょっぴりハワイの模様をお届けします
みなさん、こんにちは〜〜
春先から書き続けた駐在最後の海外旅行の記事も、
ようやく終わりを迎えました
長々とおつきあいいただき、本当にありがとうございました。
とはいえ、イギリスでの最後の1ヵ月がまだ残っているので、
ボチボチと心を込めて書いていきたいと思います
さてさて、ポンペイに戻りますが、
少し歩いて、ポンペイ遺跡のメインの入り口、
マリーナ門方面にやってきました。
こちらがマリーナ門。
犬用のリュック? 初めて見ましたw
フォロというポンペイの中心地。
後ろに見えているのが、この街を飲み込んだヴェスヴィオ火山です。
ここには市役所や裁判所もあったそうです。
その西側にある列柱廊跡。
やはりこの辺りには先ほどよりも大勢の人がいました。
こちらはフォロの区域での最大の建物バジリカです。
政治や裁判の舞台となった場所だそうです。
アウグストゥスの守護神殿。
フォロの穀物倉。
果物と野菜の市場として使われていました。
こちらにも祈るような人型が・・・。
とにかく広大です
フォロの浴場です。
こちらは男性用の脱衣所だそうです。
保温性を考慮したためか、うす暗い場所でした。
穴は衣服をかけるためのクギがあった跡だそうです。
男性用の冷浴室。
二段の大理石の冷浴槽が設備されていました。
こちらは中央の部屋、微温浴室で、
部屋の空気が熱せられ浴槽はありません。
めっちゃ支えてますっ
こちらは微温浴室。
中にある白い灰の上に木炭を燃やして部屋を暖めたそうです。
中央に噴水が出ていたとされる大理石製の水盤です。
ここで水を飲んだり、熱くなった顔や体を冷やしたものと思われます。
ポンペイ市民は午前中に仕事を終え、昼間から夕食までの間、
公衆浴場でのんびりとした時を過ごしていたようですね
ポンペイに行ったのは約1年前のことですが、
写真を見て調べながら記事を書いていると、
ついこの間の出来事だったように感じます
駐在最後の海外旅行は、ローマを皮切りにたくさんの遺跡に触れて、
ギリシャのサントリーニ島では世界一美しい夕日を見たり、
マテーラの洞窟居住区に圧倒されたり、
アマルフィでは貴重な?体験をしてみたりw
2000年前のポンペイの街並みを歩いてみたりと、
盛りだくさんの忘れられない旅行になりました
さてさて、ポンペイの続きですが、
そもそもポンペイという街は、
温暖な気候のイタリア半島の南側、アマルフィに続く美しい海岸線と、
雄々しくそびえるヴェスヴィオ火山に挟まれた風光明媚な街で、
最盛期には1〜2万人の人々が暮らし、
パンを焼いたりワインを飲んだりして暮らしていたそうです。
日本でいう弥生時代に、
ポンペイでは街のあちこちに水道がひかれ、
浴場や洗濯屋から闘技場や体育場・劇場までそろっています。
ローマ帝国が強大になるにつれ生活はさらに豊かさを増し、
ローマ市民権を持つ者にはほとんど税も課されず、
貧者には食糧が配布され、娯楽も与えられていました。
そんな時代にも世界最古の職業と言われる娼婦は、
ここポンペイにもかなりの数がいたそうで、
記事の最初の写真に使うにはちょっと刺激が強いですが
その娼館への道標になった男性のシンボルが石畳に残っていました。
中に入ってみると、思いのほか小さめの石のベッドがありました。
言葉が通じなくても営業が行いやすいように、
受けられるサービス内容が壁画として描かれています。
その工夫と奥深さに妙に感心してしまいました。
そのほかにも、建物などの屋根は灰の重みで落ちていますが、
建物そのものは倒れることなく残ったものが多かったそうで、
こちらはアキレスのラル神の家。
果樹園または草花装飾の寝室の家。
ポンペイで最も美しい庭園画と言われています。
悲劇詩人の家。
『猛犬に注意(CAVE CANEM)』と書かれた、犬のモザイク画が有名です。
そんな中、壁にこのような文字を発見
「皆様に共和党のオルコニウム・プリスクムが、
二人連帯職に当選できるように投票をお願いします。」
と書いた自治体選挙の掲示だそうです。
紙の無い時代に壁を利用して書きつけるという事が、
当時の選挙では一般的だったのでしょうかね
知れば知るほど、ポンペイの街に興味が沸いていきました