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- 2020.10.22 Thursday
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みなさん、こんにちは〜〜
長々と書き続けた駐在最後の海外旅行も、
ようやく最終日のポンペイにたどり着きました
家族や友人に私のイギリスでの生活を、
知ってもらうために始めたこのブログも、
帰国してそろそろ1年が経とうとしている今、
こうやってマイペースに書き続けている事が、
もはや私の趣味の1つとなりつつあります
さてさて、雨のナポリから一転して翌日は快晴となりました
ポンペイ遺跡の入り口は、南東にあるノチェーラ門と、
南西にあるメインの入り口マリーナ門があるのですが、
ホテルから近いノチェーラ門から入る事にしました。
まずは2人分のチケットを購入
紀元79年、ヴェスヴィオ火山噴火によって、
壊滅した悲劇の街としてあまりにも有名なポンペイ。
超高温超高速の火砕流に一瞬にして飲み込まれたため、
2000年前の街はそのままの形や色で封印される結果となりました。
火砕流によって、木や生物などは一瞬で燃え尽きましたが、
石や土などは一部の隙もなく細かい土砂で密封された状態となり、
18世紀に本格的な発掘調査が始まるまで密封保存されました。
まずはそこからすぐのところにあった円形闘技場へ。
前日の大雨で出来た大きな水たまりがありました。
コロッセオに比べるとかなり大人しい感じですが、
現存するポンペイの建物の中では最も古く、
紀元前70年頃に建てられたそうです。
やはりこちらはメインの入り口ではなかったからか、
ほとんど人がいませんでしたが、
その方がより当時の面影に浸れるような気がしました
こちらは横断歩道のようです。
馬のスピードを弱める働きもあったそうです。
こちらは居酒屋さん。
奥の壁画は当時どの家にも飾られた守護神です。
紀元前2世紀、日本でいうと弥生時代になるそうですが、
そんな時代に横断歩道や居酒屋って・・・
さすがはローマの余暇地として栄えた街です。
そして、ノチェーラ門からほど近い、
避難者の菜園という場所にありました。
ここにこの写真を載せるのは少しためらいましたが、
これもポンペイ遺跡を書く上での真実だと思うので、
あえて使わせていただきたいと思います。
ポンペイで逃げ遅れた人々のほとんどは火砕流に巻き込まれました。
そして、埋もれた人々の体は1700年の間に朽ち果て、
堆積物の中に空洞だけが残りました。
発掘の最中、あまりにも多くの不思議な空洞が現れることから、
石膏を流し込んで固めてから周囲の堆積物を取り除くと、
人型が現れました。
あまりの生々しさに声を失いましたが、
この左奥の方は一家の父親と推定されているらしく、
最期まで家族を守ろうとしていたのかと思うと、
胸が痛くなる思いでした。
ご冥福をお祈りしつつ、次回もポンペイの続きをお届けします。
みなさん、こんにちは〜〜
ここのところすっかり秋めいてきましたね
帰国後、時間はたっぷりあるはずなのに、
なぜか渡英前よりも全く本が読めなくなっているので、
1日のうちになるべく読書に充てる時間を作りたいと思う秋であります
さて、引き続きナポリですが、
スパッカナポリ界隈を散策中、
雲行きがあやしくなってきました
どしゃぶりです・・・
天気予報でこの日は雨になると知っていたので、
小一時間ほどカフェで雨宿りしながら、
旅もほぼ終盤、多少なりとも疲れも出てきていますし、
あくせくせずに回れる場所だけ回ろうか、
ということになりました。
ジェズ・ヌォボ広場中央に建つ、インマコラータの塔。
真っすぐに伸びる通りは、ひたすら雨・雨・雨。
とりあえずケーブルカーに乗って、
ナポリの全景が見渡せるという、
サンテルモ城を目指すことにしました
さらに石畳を上ります
ナポリの街です
先ほど歩いたスパッカナポリ
本当に真っ二つなんだ
一晩にしてポンペイの街を飲み込んだと言われる、
ヴェスヴィオ火山が見えました。
はぁ・・・晴れてたらなぁ
でもこの9日間の旅行中、大雨だったのはこの日だけ。
私たち夫婦はたぶん雨男・雨女では無い。。。と思うw
下りは徒歩で。
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂。
そして、次の目的地カステル・デローヴォ、
別名卵城に行くと、日曜は正午前後までの営業でした
・・・詰めが甘すぎる・・・。
なぜ卵城かというと、
お城を建てるときに基礎に卵を埋めこんで、
その卵が割れる時にお城もナポリも滅びる、
という呪文をかけられたという伝説から名付けられたそうです。
(諸説あります)。
せめて外観だけでも・・・。
さて、次回はいよいよ最終日、ポンペイ遺跡をお届けします
ではでは〜〜〜(≧▽≦)ノ
みなさん、こんにちは〜
かなり大型の台風が接近しているようです。
みなさん、くれぐれもお気をつけください
さてさて、ポンペイに1泊して、
この日はナポリ観光をすることにしました。
都市に車は向かないということで、
電車のルートを調べたら、
国鉄と私鉄の両方ともナポリには乗り入れていたので、
とりあえずホテルから近い私鉄に乗ってみることに。
ん〜〜。国鉄にすれば良かったかも?と、
この時点で嫌な予感がしました
そして電車に乗り込みます。
みなさん、これ待合いじゃないですよ〜。
電車内ですよ〜。
もしくは観客席??風味の椅子。
とりあえず、お尻が痛い・・・(+o+)
構内の落書きもなかなかファンキーです。
とにかく着けばいいのです(無事到着)
むしろこういう感じがフリーの旅行の醍醐味なのですw
街の雰囲気は雑多な感じで、
ナポリって治安が悪いんでしょ?
と、言われる所以がわかる気がしました。
とりあえず世界遺産に登録されているナポリの旧市街、
『スパッカナポリ』を目指しました。
スパッカナポリとは、
ナポリを真っ二つに割ったという意味があり、
その名の通り、見事に直進する通りが貫く旧市街のエリアの1つで、
雑多なカオス・ナポリがここにあります。
たくさんの土産物店が軒を連ねていて、
中でもイタリアの伝統的なクリスマスの飾り
『プレセピオ』の精巧な作りに驚きました
ミニチュアの果物たち
この唐辛子のような赤いものはコルノと呼ばれていて、
ナポリでは幸運を呼ぶアイテムとして親しまれています
そんな中、たくさんの有名人のフィギュアが並ぶお店を発見
ローマ法王もそっちのけで、
くぎ付けになった噛みつきスアレスのフィギュア・・・。
わかる人にだけわかればいい・・・( ̄ー ̄)
みなさん、こんにちは〜
ようやく夏が終わり、ホッとしたら、
なんだか力が抜けてひたすら眠い今日この頃です
なにしろ4年ぶりの夏(いい加減しつこいw)、
これが夏バテというものなのかと、
まわりに聞くと、みな同じような症状だと・・・。
きっとこの後は猛烈な食欲が襲ってくるに違いない( ̄ー ̄)
さてさて、アマルフィにことごとくフラれ、
旅も終盤、最後の宿泊はポンペイのホテルにしたので、
早めに向かうことにしました
ポンペイと言えば、ヴェスヴィオ火山大噴火によって、
一晩で消滅した都市・・・で有名なのですが、そのお話はまた後日。
今回のホテルはボスコ・デ・メディチというホテル
ふつうはナポリやソレント半島で宿泊するのが定番なのか、
はたまたハイシーズン後だったからか、
4つ星ホテルの割にお値段がリーズナブルで、
なんだかリッチな気分になりました
早めのチックイン。
ロビーにはポンペイ遺跡の壁画を思わせるペイントがありました。
コンドミニアムになったお部屋内部です。
比較的リーズナブルなのはなんでだろう・・・
と思ったら、このベットの奥のカーテンを開けると壁でしたwww
開けたところをカメラに収め忘れたことを、
今激しく後悔しています。( 一一)
部屋の入り口から見た中庭です。
果樹園も・・・
プールもありました
時間もあるので、少し街を観光してみることにしました
ポンペイの大聖堂。マドンナ・デル・ロザリオ大聖堂。
クーポラがとても美しい
ポンペイのマンホール。
大聖堂近くのレストランで夕食をしました
生ハムメロ〜〜〜ン
モッツアレラチーズが激うまでした
シーフードリゾット。
牛肉のソテー。
ちなみにホテルの朝食はこんな感じ
次回はナポリの様子をお届けします